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締切は厳守 

なんというか。
・・・頭が悪いのでしょうね、ある意味。

なにかのスイッチが入っていたとしても
別の思惑があったとしても
なぜ、他人にそこまで暴露するのか
意味がわからない。

昔からのつきあいといっても、相手は他人。
心の内を吐き出したところで、所詮は他人。


身内ですら、自分とは異なる人格の持ち主で
「他者」であるという時点で
完全には信用できない相手ともいえるのに。

なにかのマウントなり、思惑なりで
紡ぎ出した言論だと思うけど
方向性が誤ったプライドは
自分の足を引っ張る害悪でしかない。


世間は、思ったよりもずっと屈折しているから
…というか、性悪説に立っている私としては
「国に地獄・餓鬼・畜生あらば」という言葉があるように
世間とは、人間エゴのよって塗り固められ
弱みを見せたら最後、食い殺され、蹂躙されるような
残虐非道 なものだと認識しています。

だからこそ、お人好しの自分にとっては
たいへん生きづらい場所であり
そこで生きていくならば
それなりの対策は必要だと思うのです。



この世界では、もっと、小器用に動けばいいのに
なんだろう、自分の頭が良いことを過信して
他者が予想外の思考をすることを想定できない
というか、思い至らないのでしょうか。

何度も何度も同じ失言をくりかえし
そのたびに落ち込んでいるようですが。




別に、落ち込むのはいいのですが

締切は厳守

で、頼みますよ。

締切を、いつも無視するその性格は
ぜひ、直してほしいものです。

例えば、「気持ちが落ち込んでいたから」という理由で
願書や応募書類を、提出締切を過ぎて送っても
受け付けはしてくれません。
役所関係の書類で、1日でも遅れたら
それなりのペナルティを受けるものもあります。
裁判所出頭日にいきなり欠席してしまえば
ケースによっては相手の言い分が通ってしまい
自分が想定していた結果は望めないかもしれません。


これ、実は、苦い経験が、あります。
すっかり記憶から消え去っており
1日遅れてしまったために
本来は必要でない時間と費用とペナルティが
なんとも重い枷のように圧し掛かりました。


次回は忘れないように気をつけようと
その日のうちに、カレンダーに入力しましたよ。



締切を守らないと、不利益がある。
どんなに落ち込んでいたとしても

そこは忘れないでください。



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[2022/01/30 18:29] 感想あれこれ | TB(0) | CM(0)

大学受験は是か非か 

業界柄、受験関係の質問は、多く寄せられます。
実際のところ、勉強方法などの質問されても
入試に携わり、入試問題を作っている身としては
予備校の分析+αのアドバイスしかできません。


作っている人間が答えたら
それはそれで 問題 ですから。




それに、私の大学受験に対する意識は
一般的な傾向とは異なる のです。


一般社会においても、「学歴フィルター」問題の他
メディア露出用に用意された大学の肩書きや
もはや、表示する意味がない出身大学名の併記など
世の中には学歴コンプレックスの方があふれています。

日本だけでなく、世界中に。


大学業界は、学歴コンプレックスの方が多いため
その思考を知った時には
理解はするけど、共感はできない でした。


とはいえ、受験の問題になると
大学教員は、それなりに受験と向き合ってきたからこその
受験に対する意識が、受験生と少し通じ合う
・・・ような気もします。

だから、受験に対するアドバイスも
他の業界関係者よりも踏み込んだものになる
・・・ような気もします。


確定的なことをなにも言えないのは
個人的に、大学受験をとりまく悲喜交々に対して
本当の意味で、理解できていないから。




受験というか、試験全般は
現在の自分の位置を確かめる方法としては有効だけど
試験の点数や合否によって
人生や人格が決められるものではない と考えています。

とはいえ 受験で人生が決まる という
風潮があるからこそ
問題流出、カンニングや替え玉などの
不正がなくならないのでしょうが。






まず、そこがわからない。



受験に命をかけている方や
その方にサービスを提供している業者に対しては
それも資本主義社会の形なのだろうけれど
そもそも、どこの大学を卒業しようが

人間は 無能か有能か しかないでしょ。


なにをもって無能か有能かを決めるのか
最初にきちんと定義しておかなければならないけど
無能か有能か、というのは、あくまでも
ある職種や活動において判断される 「無能/有能」であって
人類が全員、同じ能力を持つ必要などありません。
もし、同じなら、なんと非効率的で気持ちの悪い世界か・・・。




それぞれ個性があるのが当然の人間社会において
ひとつの基準で、すべてを決めるのは傲慢です。


先日の、大学共通センターにまつわる事件も
大学受験の本質が 矮小化 した結果のような気もします。

受験生およびその周辺のオトナが血眼になって挑む
「その大学のその学部は、かつては○○だった」
ということを、思わず教えてあげたくなるような
血眼になる必要も、命をかける必要もないものだということを
伝えたくなるような状況に、何度も遭遇しています。

本人たちは必死だから、そういうことは言わないけれど。





正直、私は、大学で教職の授業を受けて
はじめて「偏差値」に対する一般的な考えを知りました。
逆に言えば、それまで偏差値を意識したことがないのです。


確かに、私も「それなり」の大学を経由してますが
大学に対する愛着や帰属意識などは当然なく
そこには価値も意義も見出していません。

実際にこの業界で働いている今がコレなのですから
大学受験時は、言わずもがな、というものです。

この表現は、アレですが
受験に必要な学力を備え、選択肢が多い高校生が
あえて、特定の大学に入りたいという
情熱を燃やせるものでしょうか、いや、ないですよ。

自分の夢を叶える上で有用な
設備やカリキュラムがあるところに行きたい
という希望はありましたが、それだけです。

さらに、実家を離れてひとり暮らししたいなどという
自立した子どもでもありませんでしたし
高校も大学も、ある程度の設備や
魅力的なカリキュラムを提供しているのであれば
近いところで良いのです。

だから、もし家から1番近い大学がハーバード大学ならば
受かるかどうかは別として
ハーバードに行こうとしたかもしれませんし
1番近い大学が、魅力的なカリキュラムの無名大学ならば
そこに行こうとしたと思います。



このようなマインドの私が
なんの因果か、高校3年生のときに
難易度高めの国家試験に挑戦することになり
意識を完全にそちらに向けざるをえない状況となれば
自分の大学受験など、もはや関心ありませんよ。

親の価値観が、通常とは異なるため
受験を控えた、多感な高校生の子どもに
あのような無茶ぶり(命令)をしたと思うのですが
私自身も、・・・おかしかったのでしょうね
強制された国家試験に意識を注力したといいますか。

しかも、難易度高めの国家試験は
知識ゼロから半年足らずの勉強で合格できるはずもなく
不合格であったことから、私の心に・・・火が付きました。


そうなると、どうなるのか。
興味・関心のあるものを優先する器用貧乏な私が
はじめて味わった試験での挫折
しかも、合格まであとわずかだったという
手が届きそうな目標を前にして迎えた受験ですよ。

それはもう イレギュラー満載の迷走 です。

つまり、大学選びも、地域の希望だけ出して、高校側に丸投げ
入試も、特に対策をとることなく受けて、合格して
私自身は、入試日以外は
次の年の国家試験に向けて勉強する、という
優先順位がおかしい「受験」を経験したわけです。



こういうマインドの人間が研究者となり
この業界のあらゆる価値観に打ちのめされ
さらに器用貧乏で事務処理能力の高さがわざわいして
研究する時間を失ってしまったことから
研究人生を投げ捨てようかと思ってはみたものの
研究の情熱は持ち続け・・・今に至るわけです。



自分の例がイレギュラーであることは自覚していますが
このようなイレギュラーな受験経験をした人間にとって
現在の大学受験は、どのようにとらえたらいいか、不明です。


少なくとも、不正などの法を犯してまで手に入れるような
シロモノではないと思っています。


受験生やその周辺のオトナだけでなく
社会全体の問題でもありますが

大学受験への共同幻想

をどこまで受け止めるか否かによって
大学受験に対する意識も変わってくるのでしょうね。


余談ではありますが
この大学受験の共同幻想を共有することによって
私は、過去の自分も、この価値観も否定はしないけれど
少なくとも、今の私の中にある
もう少し、周囲の感性に共感できたのでは、という
ほんのわずかな疎外感は解消されるのでは、と思うくらいです。





[2022/01/27 11:25] 研究日記 | TB(0) | CM(0)

ディスコミュニケーションの結果 

他者とのコミュニケーションにおいて
思考の方向性や速度が近しいことは重要だろう。

会話が、文法通りに行われることは少なく
主語が抜けたり、目的語が抜けたり
時には造語などが使われて、省略される。

思考の方向性が近しいのであれば
ある程度の省略があっても通じるものだし
方向性が異なっていたとしても
思考の速度が近しいのであれば
そして、相手を理解しようという意思があれば
省略されても、ある程度は通じるものだ。


しかし、そうでない場合は
互いに歩み寄り、理解のための努力が必要。

それが苦痛になってきたら、もうその時点で

THE END

となるだろう。



確かに、学生には伝えるよ。
自分と異なる人格や思考を持つ他者と
コミュニケーションを取れるようになれるかが
豊かな人生を歩むための一歩であると。

だから、理路整然とした情報提供と
伝えたいという情熱が必要だと。


しかしね、常に理路整然とした情報提供は
脳が疲れているときは面倒極まりないし
面倒になれば、伝えたいという情熱も減る。
だんだんとコミュニケーションを取りたいという
その気持ちすらなくなる。

ディスコミュニケーションの結果
意思疎通ができないストレス と
同じ思考の方向性や速度なら感じることもないという
余分な努力への徒労感 で
投げ出したくなるよね。


若ければ、がんばれるけれど
ある程度キャリアを持つと

今そこに

注力しなきゃいけないの?


とか思ってしまう。



確か、仏教的な考えでは
オトナ(旦那)は、自分を犠牲にして与える存在で
一方、コドモ(餓鬼)は、自分のことばかり考える
与えられる存在だと。

なにかトラプルがあったとき
与える存在か、与えられる存在かで
その人の精神年齢がわかるのだと。


ならば、上記のことを述べる私は
コドモ(餓鬼)だということになるだろう。


でも、オトナ(旦那)がまず守るべきは
自分の先祖や家族だろう。

つまり、倫理的道徳的規範に反することなく
家族を蔑ろにし、不幸にしてまで
ただ、他者に与え続けて(搾取されて)
用が済めば捨てられるだけの人生を
私はオトナ(旦那)として認識することはできないし
そのような人生を歩む気にもなれない。

オトナ(旦那)として、大切な家族を守れないのは
なんとも本末転倒な偽善者かお人好しだろう。



その不幸のスパイラルの起点になっているのが
ディスコミュニケーションであるならば
理解し合うことは必要だけれども
不必要にそこに注力するのは、止めた方がいいね。




[2022/01/26 06:29] 仕事日記 | TB(0) | CM(0)

テレワークで得たもの/失ったもの 

テレワーク生活も定着して
年末には次年度予算も立てられていたこと
そして、判断に困るオミクロン株の影響から
対面に戻すか否かの議論が行われています。

文春オンラインの記事は
なんだか少し悪意のようなものを感じますが
まぁ、理解はできます。


社員がテレワーク継続を望むのに
「それを拒む経営陣たち」の本音とは
「創造的な仕事をするにはオフィス勤務」と語る社長も

引用:文春オンライン 2022年1月19日



次年度の大学業界の方針は
すでに決まりましたし
正直、大学業界は、テレワークに対する理解は

ほぼない ですから。


記事にあった以下の内容については
それは、もう、そうでしょう、という印象です。

アメリカの従業員は、
テレワークだと間違いなく仕事をサボったり、
手抜きをします。
従業員をサボらせないように、
できるだけオフィス勤務させたいわけです。

(引用:上記文春オンライン記事)


基本的な事務仕事であれば
正直いって、テレワークで充分です。
責任者側は 管理 の問題として
対面を望むのでしょうが
COVID-19に翻弄されて2年も経つのに
管理問題を理由にテレワークを敬遠するとは
その組織の問題だと思います。

これ、大企業であればまだしも
大学業界でも同じことを指摘できます。


大学は、さまざまな要素が複雑に絡み合い
対面を推奨する理由があるわけですが
業務遂行レベルでは、テレワークは可能ですが
管理業務関係の面からいいますと
ハイブリッド型(ハイフレックス型)授業の実現のために
さまざまなツールを導入し
ネットワーク環境を整えてきたとはいえ
すべてをテレワークに移行できる状況ではありません。



一部、完全テレワークを実施する教員もいますが
その教員であっても、出勤命令が出たら
大学に行かないわけにはいきません。

対面授業が行われているのに
テレワーク(?)を継続し続ける理由はありませんし
特に、役職に就いている教員は
例え授業をオンラインで行っていたとしても
意外と、自身の研究室にこもっていたりします。



対面の良さは確かにありますよ。
いわゆる、「余白」の利用です。
同じ場を共有しているからこそ
成り立つ議論もありますし、成果もあります。

しかし、それを部下にまで求めるのはどうでしょうね。

個人的な意見をいえば
授業など、対面が必須なものは対面でしますが
それにまつわる事務的なものは
正直いって、テレワークで充分です。

なぜなら、テレワークでできる業務内容なのですから。


テレワークのメリット/デメリットをふまえて
業務内容に合わせて振り分ければよいものを
組織の問題としては
そこを柔軟に振り分けられるルールが
少なくともこの2年ではできなかったわけです。



個人的に
性善説ではなく 性悪説 に立っているので
上記で引用した「サボる云々」の問題はわかりますが
時間で管理するのではなく
業務内容で仕事をとらえればよいのに
とも思ったりします。


もちろん、業務内容での評価は
長時間労働などのさまざまな問題を誘発することは
理解できますが
すべての業務を一律に考える必要性はまったくなく
これもまた 「働き方改革」 として
業務内容に合わせて議論すれば良いと思います。

少なくとも、専門職の領域にある研究者としては
時間で計られても、実情に合わない部分も多いです。





[2022/01/20 17:19] 仕事日記 | TB(0) | CM(0)

ワクチンヒステリー 

どのように表現していいのか悩みますが
現在のオミクロン株の流行から
世界のリーダーたちを筆頭に、社会全体が一種の

集団ワクチンヒステリー

のようなものに陥っていると感じています。


ワクチンに関しては
製薬業界との関係から述べるべきでしょうが
先日、海外のニュースを見ていると
某国のリーダーによる
ワクチンヒステリー的なものを誘発する言動があり
この現状を受けて、一部の同僚たちの言動も

集団ヒステリー的なものを予感 させるものに。



個々人の信条などに干渉も言及もする気はないが
この動きは、正直、面倒くさいといいますか
こちらに影響を及ぼさないでほしいと思っています。


個人的に、自分に影響がなければ
他人がなにを信じていようが関心もないのですが
この集団ヒステリー的な現象は
そのコミュニティに所属していれば
否応なくわが身にふりかかってくるものでもあるので
なるべく、自分の頭で考えて
他人に強要しない社会にいたいと思うものです。




・・・できればいいのだけどね、本当。









[2022/01/07 07:43] 感想あれこれ | TB(0) | CM(0)

オンラインと対面とポストコロナと 

年が明けました。
そして、社会も動き始めました。

さて、最近、オンラインと対面を経験した上で
それらのメリット/デメリットに言及した記事を
よく見かけます。

というより、個人的に関心が強いためか
目についてしまうようです・・・。

COVID-19の影響でリモートワークが始まり

・ 通勤時間が節約できること
・ 移動時間がない分、多くの打ち合わせができること
・ 人間関係における面倒なやりとりをカットできること
・ それによって、作業を効率化できたこと
・ 以上をふまえて、意外とオンラインで仕事もできること


などから

「リモートは、楽」

と、リモートに慣れた人、というより
リモートワークのメリットを享受した人が多いようです。

事実、大学業界では、対面授業を求める学生の声を受け
また、諸々の事情からオンラインも残すことから
オンラインと対面を併用した授業形態を実施していますが
オンラインと対面を併用した場合
学生はオンラインを選択 することが多かったのです。


当初、大学側の思惑としては
対面を求める声が多いのだから
対面を再開すれば、学生は教室に戻ってくるだろう
・・・というものでしたが
あくまで、学生が大学構内に入るメリットは
「キャンパスライフを楽しむこと」であって
授業内容にもよりますが
なにがなんでも授業を対面で受けたいわけではない
ということに気づき、そして軌道修正というか
辻褄合わせに奔走することになりました。

オンラインにも対面にもメリット/デメリットがあり

学習効果を考慮しなければ
当人がやりやすい方法がベスト


なのかもしれませんが
大学である以上、学習効果については
きちんと効果がある方を選択する必要がありますが。




一方、ビジネスにおいては
リモートワークによって、メリットであった部分が
意外とデメリットでもあることに気づいたのか

・ 通勤時間が節約できること
→ 仕事とプライベートのオン/オフが困難

・ 移動時間がない分、多くの打ち合わせができること
→ 業務が増えて、いろいろな「余裕」が喪失

・ 人間関係における面倒なやりとりをカットできること
→ 業務の「余白」から生まれたビジネスチャンスが喪失

・ それによって、作業を効率化できたこと
→ 余裕のないスケジュールに心身が疲労

・ 以上をふまえて、意外とオンラインで仕事もできること
→ 対面ならではのメリットの再確認


などが挙げられ
リモートワークもいいけど、対面で得られたメリットを
いまいちど確認した方がいいよね、という風潮も。



すでに生活様式が変わり
コロナ前には戻ることは不可能であることは確かだけど
人間と言うのは、「変化」をあまり好まない部分もあるため
「ポストコロナ」といいつつも

コロナ前に戻る

という幻想を捨てきれないわけです。

COVID-19前に投資してきたものを捨てられず
どうにか再利用できないか、という後ろ向きな思考に陥り
ポストコロナの形を正面から考えられない状況が
今、世界中で行われているのではないでしょうか。

人間の本質は、そう大きくは変わりませんが
人間は順応できる生き物ですので
すでに変化したものを元に戻すことを考えるより

新たな形や価値の創出に注力すべき

だと感じる、新年の今日この頃です。




[2022/01/06 22:31] 仕事日記 | TB(0) | CM(0)

高IQゆえに抱える苦悩 

なるほど。なるほど。
非常に共感しました。

ABEMA Prime 2021年12月27日放送
人よりも見えすぎることで、“オオカミ少年”になってしまう
…高IQ者が職場で抱える悩み



個人的には、この吉沢さんの意見に共感。

上司や同僚よりも物事を広く考え、
数手先まで考えて仕事をしようとする吉沢さん。
“仕事ができない”と決めつけられてしまったり、
無駄な仕事を省いたり、
指摘しなくてもいい間違いを追及してしまうことで、
軋轢を生むことも。


これ、本当、職員さんと話をしていると
ものすごく、感じます。

このブログでは、IQの話題を何度か出していますが
IQが高い私の発言は
この動画に出てくる方々が感じているように
「テンポ」が速いようで
理解が追い付かない人にとっては

理解できない=仕事ができない

と私を評価しがちなようです。
また、私の発言の真意は理解できなくても
数歩先をいっていることに気づいている人にとっては

出る杭は打たねば

と判断してしまう対象のようです。

基本、私は、社会生活を送る上で
やわらかい対応を心がけているのですが
2年ほど経つと

私のことを 脅威 と感じる方がいて

毎回、面倒くさいことになります。

それでも、この業界に居続けているのは
私の発言を理解してくれる方々のおかげです。


なお、この番組では、IQが高いことに対して
「ギフテッド」という呼称も併用していますが
IQが高いから、ギフテッドだとみなすのは
非常に短絡的であると考えています。


それに、IQが高い人に向いている職業として
学問に携わる、学者・研究者が挙げられていますが
現在の日本においては
純粋に研究能力だけで評価されることはなく
研究能力が高い人間を排除する傾向もあることは
某有名国立大学の採用人事を筆頭に
いくらでも例を挙げることができます。

研究者も、人間ですから。
自分の研究人生を脅かす存在を排除したい気持ちは
納得はできなくても、理解はできます。


それに、かつてこのブログでも書いたように
頭の回転が速い人ほど
結果までの過程を論理的に積み上げていく作業が
苦手という事実を考えると
IQが高い人から、研究者向きである、というのは
これまた非常に短絡的です。


幸か不幸か、私の周囲には
私の「テンポ」についてきてくれる仲間がいるので
会話においては、つい、仲間に対する感覚で話して
相手に理解してもらえず、苦労することも多いですが
メールや書類などの文章においては
万人に理解してもらえることを念頭に置いて作成するので

文章作成の達人

と評価されることも多いです。

もう、こうなると、普通に会話ではなく
すべてチャットで済ませたいと思うこともしばしば。

対面が推奨される大学業界であっても
このオンラインでのやりとりが主流となった現在
意外と、生きづらさが、ほんのわずかでも減少しているのは
ビジネスチャットツールでのやりとりが増えたから
かもしれません。



傍から見れば、あまり健全とは言えないけれど
究極、会話は、鏡を見ながら自分自身と行うだけでも
数日くらいであれば、違和感なく過ごせる自信はあります。



というより、新年早々に発信していいとは思えない
この内容に、我ながら、引き気味ですが
この年末年始は、いろいろと考えることが多いのも事実。

考えることが大好きな私は
考え過ぎて、本来の目的を軽視しない
が、とりあえずの今年の目標です。



今年もよろしくお願いします。





[2022/01/01 19:27] 感想あれこれ | TB(0) | CM(0)